大不尽魂神社の成り立ち
戦後50年のタイミングで建立された大不尽魂神社成り立ちについて、皆様に是非、頭に入れて理解していただきたく以下、記載させていただきます
大不尽魂神社を何故あの場所に建立されたのか?
神社に託した先人たちの想いを知ることにより自身の今後のより良い生き方がより鮮明に見えてくるかもしれません。
この神社には2人の重要な人物が関わっています。
1人は「安岡正篤(やすおか まさひろ)」昭和のフィクサーとも呼ばれた陽明学者であり教育者。中国の蒋介石、戦前、戦中は日本の海軍、陸軍の顧問をされ、リーダーの育成にあたり、山本五十六も弟子の1人であった。世の中を良くするには公私共優れた人物が必要であると政界・財界などの指導者の啓発、育成、強化に尽力をつくした人物である。昭和、平成の元号の考案者としても有名。
そして晩年の安岡に師事した側近の弟子であり、この神社を建立した人物が「林 大幹(はやし たいかん)」です。
林大幹は政治家であり環境庁長官も就任した人物。政治生活は20年程でしたが政界を去り、その後は安岡正篤に生涯師事、また最後の側近の弟子として安岡の思想を世に広めた。
神社に祭っている神は太平洋戦争の戦没者はもとより日本の発展の為に君臨してきた戦前、戦後のトップリーダー達です。戦後50年の節目にあたり安岡正篤の思想を実践するにあたり神社を建立する場所として渋川の土地を選びました。そして昭和から平成の歴代の総理大臣、大企業のトップクラスのリーダー達がマスコミや記者からも隔離できる子持村に都会からひっそりと集まり、塾生として「孔子」を学び、健全なリーダーを目指して学力を身につけた場所、それがこの大不尽魂神社であります。
英霊達を慰め祀り、そして何よりも、悲願である明るい平和の世の中を作るには、アジア全域並びに世界中の民と手を取り合い助け合い、切磋琢磨して共存し合い、世界中の国々、そして民が1つになる事、これを祈願した神社が大不尽魂神社です。